Notice: CountPerDay_Widget で呼び出された WP_Widget のコンストラクターメソッドはバージョン 4.3.0 から非推奨になっています。代わりに
__construct()
を使ってください。 in /home/hekikuu/hekikuu.net/public_html/wordpress/wp-includes/functions.php on line 3893
遠野幻想探訪記⑥ | 碧空の向こう

201308

22

遠野幻想探訪記⑥

踏み入れたなら、二度と戻れない

ratiltです。何やらホラーなテイストですが、遠野探訪も後半戦。デンデラ野より遠野市街地へと戻り、今度は逆方面の愛宕神社へと車を走らせます。あっち行ったりこっち行ったりもうちょっとルート何とかならんかったのか。。。

20130818_022
というわけで愛宕神社前の駐車場に到着。新奥の細道と銘打ち、麓の卯子酉様から始まり、愛宕神社-五百羅漢-程洞コンセイサマ-鎌倉公園-市立博物館へと続く全長3km弱の散策路が敷かれています。市立博物館はホテルの隣なんですが、車で来た以上歩いてホテルに戻るわけにも行かないので、とりあえず今回は五百羅漢まで行って引き返す予定で出発。片道0.4kmとのことなので、往復でも1km無いくらいですね。

20130818_023
まずは愛宕山の麓、卯子酉様からスタート。かつて遠野一帯が湖だった頃、この辺りは大きな淵になっており、淵の主に願うと不思議と男女の仲が結ばれたという伝説から、縁結びの神様として知られています。境内の小さな池は淵の跡で、ここの片葉の葦に恋の願いを書いた紙を結び付けておくと願いが叶うと伝えられてきたそうです。現在は、祠で赤い布を買って願いを書き、左手のみで結び付けられたら願いが叶うと言われているとか。

余談ですが、『卯子酉』という名前は、いずれも干支に数えられる『卯』『子』『酉』から成ります。そしてこれを方角に置き換えると、卯→東、子→北、酉→西となり南だけが抜けていることになるのですが、南の方角に対応するのは『』。先で紹介しました通り、遠野ではオシラサマ(馬の神様)信仰が有名であることから、あえて午を欠いた名前としたのかも?

20130818_024
続いては愛宕神社への階段を登っていきます。めっちゃ急勾配。

20130818_025
割と長い階段の先に愛宕神社。愛宕様は遠野城下町の境界を護る神であると共に、火防の神様としても有名で、遠野物語拾遺第64話にも愛宕様の火防にまつわる話が収録されています。

愛宕様は火防の神様で、その氏子であった遠野の城下町周辺では、50~60年の間火事というものを知りませんでした。しかしある日某家で失火があったとき、和尚がやってきて手桶の水を小さな杓で汲んでかけると、街の人々が集まった頃にはすでに鎮火した後でした。後日火元の家の者が和尚に御礼を言いに行きましたが、寺では誰もそんなことは知らず、それで愛宕様が和尚の姿で助けに来てくださったことが分かったそうな。

20130818_026
愛宕神社の脇を抜け、アップダウンの続く山道を500mほど歩くと、五百羅漢への入口に到着。ちょうど山から下りてきたご老人方の一団とすれ違いました。思えばここからどれくらい歩くのかこの時訊いておけばよかったのですが。。。

20130818_027
というわけで引き続きの山道に踏み入れたはいいものの、舗装されていたのは最初の数mだけ、そこからは踏み固められただけの山道が続きます。加えて湿度。山の中とはいえ炎天下に蒸し風呂のような湿気の中、30分も進めば滝のような汗が流れ落ち。。。

あとどれだけ登ればたどり着くのか、流石に雲行きが怪しいと感じ始めたところでようやく開けた場所に――

20130818_028
ファッ!?

20130818_029
祠の神様には大変申し訳ないのですが、どこで何を間違えたのかたどり着いた先がこの光景とか完全にホラー。

というよりも完全に半遭難状態なのでここで已む無く下山。五百羅漢とは何だったのかは私の中で永遠の謎となりました(白目

・・・気を取り直しまして、お次は再度宮守方面に向かいます。その道すがら、弁慶が持ち上げたという大岩、続石に立ち寄りました。記録によれば、幅7m、奥行き5m、厚さ2mというとんでもない大きさだったそうで、近付くにつれて期待も高まるというものです!

20130818_030
小さい(小並感)

両手広げた位の幅なんですがどっからどう見たら幅7mなのか(白目
・・・とは言うものの、遠野物語に写真で載ってた続石はもっと大きそうな印象だったのに、と辺りを散策していると、植え込みに隠された看板を発見!

「↑続石 500m」

えっ(困惑)

ということは、これはひょっとして観光者向けのレプリカなのでは? 疑念を晴らすためにはとにかく登ってみるしかないということで、つい30分ほど前に大失敗した登山に再挑戦です(棒

というわけで、山道を登ること40分。。。

20130818_031
でかい(小並感)

この続石はドルメン(支石墓)であると考えられており、その昔武蔵坊弁慶が笠石を乗せて造ったものであるとの逸話が、遠野物語拾遺第11話に収録されています。なんでも、弁慶がドルメンを造ろうとして、一旦は別の巨石の上にこの笠石を乗せたのですが、乗せられた石が「私は位の高い石なのに、一生他の石の下になるのは残念だ」と言って一晩中泣き明かしたそうです。それなら他の石に変えてやろうと、弁慶は再び笠石を持ち上げ、今の台石の上に置いた、というお話です。

20130818_032
先の逸話から『泣石』と名付けられています。位が高いと言うだけあってこっちも立派な巨石。

またも汗だくになりながら何とか無事下山。少し休憩した後、昨日の忘れ物を探しに再度宮守へ向かいます。

《つづく》

コメント